ひめゆり入試問題(3) 和訳
ひめゆりの証言に関する英語入試問題
/青山学院高等部・英語一般入試(2005.02実施)について
やはり、和訳がないと考えにくいので、拙訳(;_;)をアップすることにしました。
原文に即した直訳です。
<第1パラグラフ>
1945年8月の第二次世界大戦の終戦からすでにほぼ60年が過ぎた。ええ、もちろん、あなたはある程度いくらかの人々にとっては、戦争はまだ終っていないと言うことができ、それで ”ほんの” 60年が過ぎたにすぎないとも言うことができる。いずれにせよ(ともかく)、私達は、この一時代(世代)について考えなくてはならない。私達は、この重要な体験を忘れるべきではない。日本は、原爆を体験した唯一の国である。私達、すべての日本人は、戦後生まれの人々でさえ、再び同じ間違いをおかしてはならないと世界に伝える(語る)責任がある。しかし思い起こせば、60年が過ぎたのだ。年々、私達は、戦争を体験した人々と死別していく。そしてごく近い将来に、おそらく20年もしないうちに、私達は、戦争についての直接のメッセージ(伝言・教訓)を少しも聞けなくなるだろう。そうなってから、どのような方法で私達は私達の数々の体験やメッセージそして願い(望み、希望)を次の世代へ伝えることができるだろうか。
<第2パラグラフ>
昨夏、私は忘れられないテレビ番組を見た。本当に、それは衝撃的だった。それは第二次世界大戦の終戦記念の特別番組だった。それは、ある作家の戦争体験が元となっていて、多くの老いた兵士のコメント(解説)があった。その兵士達の多くは80代後半で、ステッキの支え無しでは、震える体を保つことができなかった。その番組は、兵士の数々の遺体を少しも隠さなかった。私は、そのような場面に対する(心の)準備が無くそれを見続けられなかったので、他の番組にチャンネルを変えた。私は、そういう映像が有効たりうることがわかった。他方では、私は多くの人々が私が感じたのと同じように感じるだろうと思った。しかし驚いたことに、数日後、私は新聞にある老婦人の投書をみつけた。その投書で、彼女はその番組に感銘を受けたと述べた。「あの映像を見せてくれてありがとう。私達は、間もなく言葉で戦争を説明する(描写する、表現する)ことができなくなるでしょうが、私達は、言葉を使わなくてさえ何かを伝えることができる。私達は、事実を示す(見せる)ことを恐れるべきではありません。」この手紙を読んで、私は高校時代のある体験を思い出し始めた。
<第3パラグラフ>
それは、沖縄への修学旅行の間に起きた。滞在中に、私のクラスは、戦争時からそのままに残された古い防空壕を訪れる機会があった。誰もがそれぞれの明かり(懐中電灯)を持ち、そして洞窟の中へと高齢の案内人の後についていった。洞窟の中に入ると、暗くて湿気ていた。そこは、戦争当時からほとんど手を加えられていなかった。そこは、都会の子供たちにとっては、かっこうの遊び場であった。私達は誰かが滑って転ぶとお互いに笑った。私達は私達の声の反響を楽しんだ。「ここでキャンプができたら面白そうじゃない?」と誰かが言った。そう、それは本当によさそうに聞こえた。その時高齢の案内人が言った。「それでは、皆、明かりを消して。」最後の明かりが消えると、暗やみが出現した。まっ暗だった。誰も何も言わなかった。何も「言えなかった」のだ。「これが戦争です。私達がこの洞窟で望んだただ一つのことは戦争を生き抜くことだった。私は二度とそれを体験したくない。」私達は帰り道で、誰も話さなかったしもちろん誰も笑わなかった。私は、外の光を見てどう感じたかを、そして洞窟からやっと出てどれほど神に感謝したかを、まだ覚えている。私は、何人かの少女(女生徒)達が泣いているのを見て驚かなかった。言葉はあまり多くなかったが私達はあの体験が意味することを理解した。まさにその瞬間、私は、ツアー中に、なぜその高齢の案内人があまり話さず、私達の質問にほんのわずかな言葉だけで答えていたのかを理解した。
<第4パラグラフ>
それから私達はひめゆり記念公園へ移動した。私達は洞窟のことを忘れ始めていたけれども、まだ多くを語らなかった。というのも、私達はおそらくより衝撃的でさえある、いくつかの話を聞かなくてはならいかもしれないので、少し恐くて神経質になっていたからだ。その通りに、ひめゆり学徒隊で生き抜いた老婦人が私達に語った話は、衝撃的で戦争の強いイメージを与えた。しかし本当のことを言うと、私には退屈で私は彼女の話に飽きた。彼女が話せば話すほど、私はあの洞窟で受けた強い印象をなくした。私は、彼女が相当何回も、あらゆる場合にその話を語り、そしてその話を語るのがとてもうまくなっていることがわかった。彼女の話はすらすらと、母親が赤ん坊に語る添い寝の時の物語のようだった。もちろん、私の何人かの友人はその話に心を動かされていたので、私は彼女の話が何の意味もないと言うわけではない。
<第5パラグラフ>
事実や体験を次の世代へ伝えることは重要な仕事である。しかしどうやって?そうする最もよい方法は何だろうか?もちろん最も明確な方法は「言葉」を用いることである。言葉の力は偉大である。しかし問題は私達がどのようにその言葉を理解するかだ。もしも聞き手が話し手の考えを理解しなければ、よい話でさえ言葉の羅列にすぎなくなる。もう一つの問題は、もしも話し手の意見があまりにも強すぎると、それは異なるメッセージを与えるかもしれない。昨夏中国で開催されたサッカーのアジア杯を覚えていますか?多くの中国人が日本チームにブーイングをしました。おそらく彼らの多くは、彼らの両親から戦争の話を聞いて日本人について独自の考えを作ったのだ。もちろん私達は彼らが彼らの両親から得た情報が間違いだと言うべきではないが、正確に言って彼らの両親は彼らに何を言ったのか?そして、どのように言ったのか?
<第6パラグラフ>
私が書いたように、私達は、いつか戦争についての直接のメッセージを聞くことができなくなるだろうが、その代わりにいくつかの他の方法がある。時々あなたは言葉なしで最良のメッセージを送ることができる。あなたが青山学院高等部の生徒になったら、あなたは修学旅行で長崎を訪れるだろう。あなたは、原爆を体験した人々の話を聞く機会があるだろう。その時あなたはどのようなメッセージを受けとると思いますか?
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