2005/08/06

広島、60回目の原爆の日

今日は、60回目の広島の「原爆の日」です。

秋葉忠利・広島市長の平和宣言   (広島市ホームページより)
こども代表・平和への誓い   (中国新聞より)

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2005/05/07

blogは書き手を映す

blogをやっていると、blogについていろいろと思うことがある。
その一つは、文は、書き手をよく反映するということ。

絵を描くと、描いた本人に似るという。それと同様なことかと思う。
別に自画像を描いているわけではない。それなのに、誰の絵を描いても、何を描いても、描いた人に似ていたり、描いた人の雰囲気があったり。
同様に、別に自分についての文を書いているわけではない。それなのに、何について書こうとも、書き手の性格などがよく表れてしまう。

書いた文章の中身ばかりか、文を書くペース、分量、文字の大きさまで、文のあらゆる要素が書き手を表すことに驚かされる。更に、手書きであれば、書き手についての情報はより多く表されただろう。どんな文字を書くか、どのような紙・筆記具を選ぶか。(blogで言えば、どのblogツールを選ぶかという要素に重なることだろうか。)

それで、私の場合、自分が書いてきたblogに自分の中身の無さ・芯の無さが表れてしまっていることに、はたと気がついてしまった。自分だからこそ気がついたことか、いや、どなた様にも伝わってしまうことかも...。大変な暗中模索ぶりだ。
今は、多くの人が迷いを感じる時代でもあるとも思う。私の迷いは、時代のせいではないかもしれない。ただ、他の方のblogを読ませて頂いたりして、だれしも迷いや悩みを同じように抱えながら今を生きていると感じたりする時、救われるような思いをすることがある。

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2004/11/20

若者へ

どうして、こんなに悲惨なことが起こるのか。
どうして、子供たちや弱者が悲惨な目にあうのか。
−−−本当は、大人は知っている。

希望に満ちあふれた人生を
突然、絶たれてしまったのは、なぜ?
重荷を背負って、歩んでいるのは、なぜ?
−−−本当は、大人は知っている。

これまでも繰り返されてきた、
若者を兵隊にしたて、
老若男女の屍さえも、
権力者が英霊として具にする戦争。

日本にも、
こんな小さな島国にも、
そこに住む、素朴な、決して好戦的でない国民にも、
その足音は忍び寄る。
−−−それも、大人は知っている。

「なぜ、止めないの?」
−−−それも、大人は知っている。


しかし、大人は知らないのだ。
その悲しみは、あなたのもの。
その苦しみは、あなたのもの。
既に、それらは、あなたのものです。
なのに、あなたはその激震を待っている。

ああ、若者よ。
希望を守るために、
あなたに与えられている勇気を出して、
声をあげて尋ねなさい。
あなたが成すべきことを。
あなたが得るべきものを。
そうして、あなたの道を、切り開きなさい。

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社会不安

奈良市で11月17日に起きた小学1年生女児の誘拐殺人事件の、あまりの悲惨さに胸が痛みます。ご家族の方には言うべき言葉もなく、ただただ、幼い娘さんのご冥福をお祈り申し上げるばかりです。

この事件のあまりの悲惨さは、皆さん、報道でご存知かと思います。犯人の残忍さが、猟奇的であるとか、ゲ−ム感覚であるとか、いろいろに伝えられています。特に、被害者の携帯電話を使い、写真を貼付し、「娘はもらった」というメ−ルをお母様に送り付けてきたという報道に、私は絶句しました。


まだ、犯人も捕まらず、事件の詳細も明らかではありませんが、犯人は特異な人物で、このような犯罪は二度と起こらないのでしょうか。なんとも社会に暗雲が垂れ込めたような不安を感じずにいられません。

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2004/11/06

アメリカ大統領選挙で考えたこと

 CNNjBBCなどで2004アメリカ大統領選挙(投票は、日本時間11月2日夜から)の様子を見ました。
アメリカは、「民主主義」の擁護者を自負していますが、「さすがアメリカ」というほど立派な「選挙」というわけでもないような...、というのが率直な感想です。

「州ごとに概ね人口比率によって定められた数の選挙人を(どちらの票を投じるものとするかを)選ぶ」という間接選挙ではあっても、大統領を決める選挙に一票を投じ、国民が自分の意志を示せるのはいいと思いました。
しかし、投票システムはかなりずさんで、不正選挙の誘因にもなっています。
また、選挙はお祭り騒ぎの側面も強く、3回のテレビ討論も、イメ−ジや失言などが関心事のようで、「イラク戦争」を具体的にどう終息させていくのかといった本当に大切な問題については、あいまいなままでした。
(そして結果は、ブッシュが再選されて、なおがっかり。)

1.「民主主義」は、機能している?
日本の選挙でも感じる事ですが、民主主義国家では、本当に素晴らしい「民主主義」が履行されていると言えるのでしょうか。

「民主主義」、国民主権というのは、本当に大切な政治概念です。
しかし、「民主主義」の基本的なル−ルである「選挙」・「多数決」というのは、うのみに信頼できるものなのでしょうか。
お金などの問題をおこした政治家が、「選挙」を越えれば、「みそぎ」が終わったなどと言います。
与党が国会において「過半数=多数」を占めていれば、どんな法案も、国民への説明が不十分でも、世論に反対があっても、野党の抗議があっても、「多数決」によりどんどんと決まってしまいます。
その政党、その政治家は、国民が「選挙」で選んだのだから、これは「民意」だとまで言われると、何か変だと思わずにはいられません。

2.「多数決」の意味は?
「選挙」も、投票の「多数」によって選ぶわけですが、国会における議案も「多数決」によって決められます。「多数」によって選ぶ・決定するとは、どういう事を意味しているのでしょう。

「多数の人がよしとすること」というのは、「多数の人が利益になる(と考える)こと」ではないでしょうか。
例えば、「教育の国家予算を削減する」かどうかを決める時、学齢期の子供がいない、これから学齢期を迎える子供がいない、教育費は自分で出せる(むしろ自分の企業・業界に公費をまわして欲しい)、といった人々は、その議案に賛成するでしょう。
学齢期の子供がいる、教育費を自費で出せないという人は、反対するでしょう。
必ずしも、「すべての子供に教育を保証する」という人権上の観点から考えて、「多くの人が正しいと考えること」を選ぶわけではない、というのが現状のように思えます。
ジッド著の「狭き門」ではありませんが、天国に至る門は狭き門であり、正しいこと、善いことを選ぶ人、選べる場合は、むしろ少ないのが現実ではないでしょうか。

「多数」とは、「力」です。ケンカ(=戦争)になれば、「多数」が有利なわけです。だから現実は、ケンカを避けて「多数決」で国を「治めている」にすぎないのではないでしょうか。「数の暴力」ということもありうるのです。
そこで、「少数意見の尊重」ということが非常に大切になると思うのですが、これは現実では、十分に行われていないように思います。
また、民意が安易に利益に流れないように、正しい方向へ民衆を導くリ−ダ−が必要なわけですが、それが、国会議員?総理大臣?...「民主主義」をダメにしているのは誰なのかが見えてくる気がします。

3.「多数決」には、「少数意見の尊重」がセットでこそ、「民主主義」では?
子供の頃の学級会などの多数決は、正しいことを選ぼうとしていたと思います。「多数決」が、「多くの人が正しいと考えること」を選ぶ・決定することに努めるという理想的な社会であれば、本当の「民主主義」が成立するかもしれません。しかし、現実社会、政治における多数決は、利益本位のようです。
民主主義国家である日本では、政治は「民主主義」、経済は「資本主義」のシステムで行われていると学びましたが、現実は、政治も経済も「資本主義」で動いていると思われてなりません。

学校では、偏った「政治教育」や「宗教教育」をしてはいけない事になっているため、結局はほとんど「政治教育」・「宗教教育」が行われていません。「社会科」で「政治」の基本的なしくみについての教育が行なわれていますが、現実の政治を取り上げてというのは、ほとんど不可能となっていると思います。でも、これでは、現実社会を見る時に困るのではないでしょうか。「政治」や「宗教」を教育する場合は、教育上の配慮が必要なことは確かですが、特に、国際社会になって、「政治」や「宗教」についての知識、思考力、判断力は不可欠です。

「政治」や「宗教」に関しても、若者が正しい知識、思考力、判断力などを身につけて、なにがなんだか分からないうちに、目に見えないものにだまされない事を願います。

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2004/10/30

地震被害、早期復興を祈ります

10月23日午後5時56分ごろからの、新潟県中越地方を震源とする「新潟中越地震」の被災者の皆さんに、心からお見舞い申し上げます。

最初の地震発生から1週間が経った今も、余震が続く厳しい環境下に、7万人(8万人?)を越える(ピ−ク時には10万3千人台の)方々が避難生活を余儀なくされ、震災関連死の続発が報道される状況に、本当に早く状況が改善されないものかと胸が痛みます。
多くの皆さんが、被災民の皆さんへの救援活動にご尽力されていることに、敬意を表します。

そして、全村民が避難している山古志村の長島忠美村長さんが、懸命に村民への状況説明や誘導を行なっておられる事に対しては、敬意を表しますとともに、ご自身の体調にも留意されますようにと願わずにはいられません。

また、長岡市の土砂崩れに巻き込まれ、行方不明となっていた母子3人を救出するために、27日から28日にかけて夜を徹して行われた、救出活動については、自らの命の危険があるのに救出活動をされた皆様に敬意を表し、お礼を申し上げます。お母さんの皆川貴子さん(39)、長女の真優ちゃん(3)の死亡は誠に残念でした。ご冥福をお祈りします。がんばって生き抜き救出された優太(訂正11.01 勇太 お名前の漢字表記を間違えていました。失礼致しました。)ちゃん(2)の回復と、今後の健やかな成長を願ってやみません。

今回の災害、及びその対策について、いろいろと思うことがあります。
特に、多くの方々が、体育館等の避難場所への避難や車中泊を余儀なくされていますが、国や被災地以外の地方行政が協力して、被災地以外の地域の避難場所への避難はできないものなのか、と思います。
余震の心配がなく、インフラが機能することにより被災者の皆さんの避難生活も改善され、ボランティアの方も動きやすいと思われます。
温泉施設の利用、宿泊施設の借り上げ、仮設住宅の建設等の対策が試みられていますが、数が圧倒的に少ないのではないかと思われ、毎日、刻々と被災民の方々の健康状態が悪化していることを思うと、被災地内だけで対処することは誠に困難であり、縦割り行政でなく、他の地域にご協力を頂くように、国に機敏な対応を望みます。
テレビ報道等を見ると、国の対策よりも、国民の支援の方が、緊急事態によく対処しているようにも思えます。国民に、協力する心構えがあるのに、国等の対策は、事前の備えも含めてこの緊急時に緩慢なところがあるのは、残念です。

また、国会議員が国民に対して募金やボランティアを求めるのは、欺瞞を感じます。そんな時間があるなら、国の成すべきことを一秒でも早く一つでも多く、行なってください。お金持ち自らが募金をなさってください。
元来、募金は、相互扶助・助け合いの精神によるものかと思います。
その意味では、報道機関等が募金を募るのも、その姿勢には配慮が必要と思います。純粋に被災地と募金者の仲介役をするのは、理にかなっていると思います。しかし、たとえば、ある放送局のある団体への取り次ぎというのは、仲介の仲介であり、その局の立場・姿勢・責任の所在が、明らかでありません。(募金といっても、人様のお金を預かるのですから、きちんと使われるように管理する責任があります。)まして、振替口座の番号のみを告知し、「(被災者の皆さんに対する救援活動をしたいと思い、○○局は募金活動に協力していますので、ご賛同頂ける皆さんは)募金活動にご協力下さい」とか、「非常時ですから、お互いに助け合いましょう」という言葉もないのは、主体がいかにも不明確であり、「募金したければ、どうぞ。(しかし、今、明言はしませんが、募金をお願いしたわけではありませんから、募金の管理に責任を負うものではありません。)」という心ない姿勢は、募金の主旨に添わないと思います。
単なる「効率良い集金」よりも、学生さん等をはじめ、ボランティアの皆さんが街頭に立って募金を呼びかける心ある活動こそが、被災者の皆さんを励ますものと思います。


とにかく、被災者の皆さん、本当に大変だと思います。どうかお気を強く持って、負けないでください。もしかしたら、新潟県の皆さんは、我慢強くて、できない我慢をされているのではないかと思います。我慢しすぎは命に関わりますから、あえてメディアに訴えたり、行政等に要求したりということをして、生き抜いてください。それは、今後の日本の災害対策に生かされるものですから、決してわがままなどではありません。むしろ、貢献です。

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2004/09/08

基礎的でやはり大切な事

 「週刊!木村剛」さんの記事「資格取得は『必勝の方程式』か?/08.27」を興味深く拝読した。
○ 「定員割れ」背景に就職予備校化する大学
○ 大学のフトコロ事情と受験者の進学意識
○ 「必勝の方程式」など最早存在しない
という章立てだ。(詳細は本文参照。→資格取得は「必勝の方程式」か?

1.「就職難」の実態と正体
 この記事を読んで注意を喚起されたのは、大学に「就職率の高さ・就職指導」よりも「資格や免許」を望んでいるという大学受験生の意識のありようだ。
 電通が行なった「受験生の大学進学に関する意識調査」という調査結果がある。(−中略−)また、「大学を選択する時の重視点」として、「自分の学びたいことができる大学」(94.8%)、「将来就きたい知識や技術が身につく大学」(88.3%)「自分が学びたい分野の評価が高い」(80.7%)、「将来就きたい職業に必要な資格や免許が取得できる大学」(79.5%)という回答が多くなっており、「就職率が高い大学」(61.0%)、「就職指導が充実している大学」(57.8%)といった回答は必ずしも上位にあるわけではない。
「資格取得は『必勝の方程式』か?」より
 受験生が単に「資格や免許」を望んでいるというのであれば、その理由は、「就職難の時代に就職・転職を有利にするために」ということが推測され、疑問は感じなかっただろう。まさに、木村氏の言う「将来の保証」を求めているということに他ならない。
 だが、「将来の保証」を求めるなら、なぜ「就職率の高さ・就職指導」はそれほど求めないのだろうか。「将来の保証」を求めるならば、「就職率の高さ・就職指導」をも求めるのが、「近い将来の保証」として当然ではないだろうか。

 実際、大学の就職指導・担当者の話として、就職難といわれながら、就職活動そのものに身の入らない学生、はっきり言えば就職活動をしない学生が現れているらしい。と同時に、今は就職難と言われるが、その気になれば「職を選ばなければ」とまでもいかずして、就職できないことは無いという。そして一方で、就職しても、リストラによってではなく自らの意志で、短期間で仕事をやめてしまう若者が、正確な割合はわからないけれども、増えているそうである。
 つまり、大学新卒者に関して言うならば、いわゆるフリ−タ−になる人の割合が多い原因は、単に雇用がない、求人がないといういわゆる「就職難」だからという理由のみによっては理解し難いということになる。

 大学新卒者・受験生の「就職難」とは、求人・雇用が無いため(だけ)でなく、大学新卒者・受験生の就職意欲・勤労意欲に課題がある、という「就職難」ではないだろうか。


2. 大学受験生・大学新卒者の「就職難」な意識
 つきたい職業も定まらないし、どうしても就職したい、しなければという気持ちも起きない。すぐに定職に正社員として就職せずとも、保護者の庇護のもとに、あるいはフリ−タ−として、一時期をしのぐことはできる。しかしながら、将来への漠然とした不安はある。何かの時に役に立つかもしれないので、「資格と免許」は取れるものなら取っておきたい。
 私の勝手な推察なのだが、受験生、大学新卒者の意識は、もしかすると上記のような傾向もあるのかもしれない。
 また、先の引用の「資格や免許」以外の上位の項目に目をやると、「できれば自分のしたいことをしたい」「保証のある事をしたい」「指導はあまり望まない」といった意識も感じられる。それは、マイナス点ばかりとは言えないが、就職難と言われる状況下にあって、近い将来に対しても、その先の将来に対しても、意欲的な姿勢や切迫感を持ち得ないでいるのではと思わせる。


3.「就職難」意識の問題点
 もちろん、明確な目標と意欲を持って「資格と免許」を目指している若い方々がいらっしゃるのも確かである。
 しかし、もしも現在の社会環境が、彼らに上記のような意識を抱かせる傾向があり、またそれが拡大方向にあるならば、これは当事者も教育関係者も社会も、注意すべき問題ではあるまいか。
 「就職する=働く」ということは、食べていくことであり、経済的自立であると同時に、生き甲斐を得ることであり、社会と接して社会への目を開き社会に参加する(つまり社会人となる)方法として最もポピュラ−な道である。若者が働く意欲、意義、希望が見いだせないということは、若者は社会に生きる意欲や意義、希望が見いだせないでいるということに通じることになる。
 昨今のニュ−スを見れば、家庭、学校、企業、地域社会、国家の政策などに、制度あるいは倫理の破綻や崩壊を示すものが少なくない。若い人々がそれを感じていないはずもなく、社会への希望や意欲をあまり持てないでいるかもしれないと危惧してしまう。
 就職意欲がわかないという問題は、現実的な問題としては、経済的な問題に直結するのだが、根の深い問題としては、人の心の問題、社会の問題が懸念される。


4. どうすればよいのか
 となると、それでは、一体どうしたらよいのかという事になる。
一つは、若者が夢や希望が持てるように、また、落ち着いて堅実な努力ができるように社会環境を整えること。もう一つは、若者が社会的な困難や不条理に直面しても、夢や希望、地道な努力が無意味だと投げやりな気分にならず、前向きな意欲を持てるように、若者自身が努力すること、周囲が力を注ぐこと。即ち、基本に立ち返った教育及び学習を充実させることであろう。

 ここで、若い人々に特に気に留めてほしいこの記事の結論部分を引用させて頂く。
 これからは、大学も会社も政府も自分を守ってくれない。いい大学に入るとか、資格を取るといった一時の栄光が、未来永劫自分を守ってくれるということは最早ない。時代がどう動こうとも、他人に評価される自分たりえるよう不断の努力を行うということしか自分と家族を護る術はない。資格や肩書で飯を食える時代ではなくなった−−それが厳しい現実なのである。
「資格取得は『必勝の方程式』か?」より
 木村剛さんのようなエキスパ−トであり、時代の最先端を歩む方が、「不断の努力」という基礎的で実直な事柄を、若い人々が生きていく上で必要不可欠な重要なものとして改めて提示して下さったことは、本当に心強い。
 最近の社会の動向は、ある問題に対して対処療法のみで事足れりとし、「不断の努力」といった基礎的で根本的な対策の重要性を顧みない場合が多い。対処療法も差し迫った現実に対するには必要であり、否定できない場合は多い。しかし、それだけでは明らかに不十分なのである。根本的な対策を先送りにすることが、重大な悪い事態を引き起こし、若い人々の夢や希望を奪ってしまっていると思う。根本的な対策というのは、時間を必要とする。今のような時代だからこそ、基礎的で実直な事柄の重要性を誰もが意識すべきと思う。

※この記事のトラックバック送信先  「資格取得は『必勝の方程式』か?」(週刊!木村剛)さん、TBピ−プル「教育(総合)」

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2004/08/23

山本博選手の健闘に寄せて

甲子園とオリンピックにたくさんの感動をもらっています。
甲子園では、北海道の駒大苫小牧が優勝しましたね。
駒大苫小牧、打撃戦制し初優勝 済美の春夏連覇ならず(asahi.com)
大変な接戦でした。

オリンピックも悲喜こもごもです。ドラマが多すぎて書ききれませんが...。

 柔道は、今までの努力が花開いたかのように多くのメダルを取りました。
ヤワラちゃんこと谷選手が、あのケガにも関わらず金メダルを連取。
そして、オリンピック以外の国際大会では優秀な成績を残していながら、オリンピックでは2度も初戦敗退という苦汁をなめてきた阿武教子選手の渾身の金メダル。

 もちろん深く心に焼き付いたのは、金・銀・銅のメダルを手にした勝者達の姿ばかりではありません。
金メダルを期待されながら、メダルに手が届かなかった井上康生選手。
前回の金メダル故にこれまで練習以外の事柄にも時間を割かれ、気を使う場面も増えていたに違いありません。日本選手団の主将としての責任も負っていました。
日本選手団主将の決意(asahi.com)
まさに、勝ち続ける事の難しさを考えさせられました。
 他のすべての選手にもメダルの有無に関わらず多くのドラマがあり、オリンピックに出場できなかった選手にもそれは同様であろうと思います。

 ア−チェリ−で銀メダルを取った山本博選手の言葉が言い得て妙です。
「銅メダルを取った時から、20年かけて銀メダルを取った。また20年後に、今度は金メダルを取ります。」
41歳山本、20年ぶりメダル/ア−チェリ−(Yahoo!スポ−ツ)
「中年の皆さんに『おれも』と」 ア−チェリ−銀の山本(asahi.com)

 私は思いました。
すべての選手の今の結果はみな道の途中なのだと。
その努力し続けている道半ばの姿が私に感動を与えてくれたのだと。

 そして試合中継の解説者の方がおっしゃっていました。山本博選手は、大宮開成高校の教諭で、生徒を指導しながら練習をしてきた。山本博選手は、このオリンピックで後進の若い選手達とプレ−できる事をとても楽しんでいて、後に団体戦があるのでここですべての力を使い果たすような事はしていないだろうと。

 一流の選手は、他の人が質問してきてもオ−プンに教えてくれるものだと聞いた事があります。
また、教育学の教育原論では、人間の成長過程において、それぞれの時期に自立や協調といった成長目標があると言いますが、最終目標は「後継者の育成」ができることだそうです。家庭の主も、企業のトップも同じでしょう。豊臣秀吉の例を持ち出すまでもなく、どんなに栄耀栄華を極めようとも後継者の育成がうまくいかなければ、幸福とは言えない場合があります。
 個人も、日本という国も、そして世界も、それぞれの個の現在の状況は、道の途中の一状況に過ぎず、たゆまぬ努力こそが尊く、次の世代を育てる事なしには今あるほどの幸せも足下の危ういものであると改めて感じるオリンピックです。

 まだまだ、これからの競技も応援するよ!!!

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2004/08/06

広島・原爆の日

人の感覚というのは、不思議なものだ。
「戦争はいけない」ということには誰もが共感するのに、
「平和運動」という言葉には、時には気分の重さを感じたりする。

しかし、
戦争が悲惨なことは間違いない。
非戦闘員も殺される。
男も女も子供もお年よりも赤ちゃんも。
兵士だって死ぬのが平気というわけではない。
戦争は、国家が発動する。
徴兵されて、嫌でも殺されたり殺したりするのだ。
イラクに派遣された自衛隊には女性自衛隊員の姿もあった。
男女平等社会だから?

「命の尊さ」が十分にわからない、感じられない子供達がいる。
いや、子供達だけではないだろう。
学校で「命は大切です」と言っても、
生徒・児童が「わかりました」と言っても、
それで十分でないことを大人は知っているはずだ。
普通の暮らしを守るためには努力がいる。
平和を守るためには努力がいる。
今日は、59 回目の広島原爆の日。
戦争のこと、原爆のこと、他人事ではない。
皆が話をしてほしい。

原爆のことをあまり知らない人もいるだろう。
アメリカと戦争したことを知らない高校生もいる。
「エッ?日本がアメリカと戦争したの〜? で、どっちが勝ったの?」
「アメリカだよ。」
「だろうね−。」

多くの人に知ってほしい。
あの日、火傷でお互いの姿が分からなくなっていた母子。
あの瞬間、原爆ド−ムの近くを歩いていたのに、
気がついたら何キロも離れた場所にいたという人。
あの日以来、帰って来ない、跡形もない人々。
遺体があふれる川に熱い身体を冷やしに入り、
渇いたのどを潤すために川の水を一口飲んで、
息絶えていった人々。
河口から海に流れ出ていった遺体も少なくない。
今も、魚を絶対に食べないという人がいる。

アメリカ人は、
9.11のテロがあった NY 世界貿易センタービル跡地を、
「グラウンドゼロ」と呼ぶ。
それを聞いた時は、とてもショックだった。
「グラウンドゼロ」とは、爆心地のことだ。
私にとってこの言葉は、ずっと、広島・長崎の原爆・爆心地を指す言葉だった。
そして、アメリカはテロとの戦いと言って、イラク戦争を始めた。

人にはいろいろな感じ方、考え方がある。
しかし、事実はひとつ。
事実を知り理解するためにも、今日という日について話をしてほしい。

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2004/07/11

参議院・議員選挙する

 今日は、参議院・議員選挙。
 私は、投票しに行こうと思っている。
あまりに社会不安が増大しているから。
これはもう、政治は他人事ではありえない。
国民自らがどうにかしなければ、どうにもならない。
だから、選挙に行こうと思っている。

 メディアでも、「選挙に行きましょう」と言っている。
今回の選挙の争点として、
年金問題、イラク・自衛隊派遣問題、憲法改正問題
と多くの重要な課題をあげ、
「投票に行って、国民の意思を示そう」と言っている。

 メディアさん、それはそうなんだけど、オピニオン・リ−ダ−としては、甘くない?

 国民は、政治にだまされていると感じていると思う。
「政治を誰がやっても同じ」
「投票しても何も変わらない」
「投票したいような人が立候補していない」というのは、そういうことだと思う。

そして、それこそが今の政治の問題点に違いない。
自分が投票した人・党が勝利してさえも、政治はなかなか変わらない。
日本の政治・政治家が、
隠したり、ごまかしたり、だましたりして、
日本を搾取し、日本の国民をないがしろにし、
国民は投票しても無力感が漂う。

 それでも、私は政治を変えたい。

 政治家や政治の問題点は、かわりに地方や企業に利益をもたらすからと、
ある意味、長年容認されてきた。
しかし、もう限界。
 倒産・経営破綻、失業問題、少子高齢化社会、介護問題、食の安全、少年犯罪、親子間殺人、テロの危険・・・、いずれも政治と無関係ではない。
 日本人はがんばってきたはずなのに、これほど社会不安が増大しているというのは、むしろ、不思議なくらい。
 政治が普通に機能していれば、もっといい日本になっていたはず、
くらいの気持ちがする。

 日本の政治は、国民の意思を見事に反映しない仕組みになっている。
人権後進国日本。
それでも、政治家が一番心配するのは、やはり、選挙みたい。
当選すれば、禊だなんだとすぐに勝手に立ち直るけど。

 投票で、せめて一国民としての意志を示すという気持ちを超えて、
主体的に、投票が私の政治活動だから、私は投票に行こうと思う。

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